ハードル
私の職場の上司がよく言っている言葉があります。
「やってみんとわからんもんでさー」
すっごい愛知の方言で。ふふふ
私はこの言葉がとても好きです。

自分で仕事をするようになって。
どんな挑戦も問題も課題も自分のこととして受け取れるようになりました。
私は、改善しない愚痴とか、ループの悩みを続けることが好きじゃありません。
あと、もう一つ根底に考えていることとして、誰かのせいだから、と思いながら生きることもしたくありません。
愚痴を言っても良いと思うし、そういう時もあると思います。
でも、どこかで、愚痴を超えたその先を見たいと思うし、可能なら愚痴を言わないでいられる世界でいたいと思います。
どんなことも「自分の結果」と思った時、しんどいと思うか、それをWelcomeと思えるのか、それは、その人次第かと思いますが、私は、 Welcomeに思います。だから、自分で仕事をしようという選択をしました。
正直な事を申しますと、いくらWelcomeと思っていてもきつい時もあります。
至らないなぁとか、何やっているんだろう、自分、と思うこともあります。ちなみに最近は何やっているんだろう自分祭りでした。
(この事をパートナーに話したら、なんて君はネガティブなんだ!と君は僕が悩まない事で悩むね!と言われました。でも、それでも、そんな私の嘆きを聞いてくれるパートナーに感謝です)
好きなことでも、志を持ったことでも、やっぱり落ち込むときは落ち込みますし、悩むことは悩みます。これは最近気づいたことです。フッフッフ
でも、なんで悩むって、その先が見たいからですし、どこかの部分が調整できていないから、まだまだ本当はやれることがあるからだ、と思っているからです。考えているんですよね、良い手がないか。
ここ数ヶ月、今の自分ではかなりハードルが高いでしょ、と思う課題がたびたびありました。とにかく打ち返すことに必死すぎて奮闘奮闘奮闘…、途中でヘロヘロになって「あれ?!なんかすげーハードなんですけど?!これはヤバイ…!」と気づいて、そこから調整をかけていく、という事をやっていました。
そして、気づいたことがあります。
ハードルが高い、今の自分では無理だよーと思いながらも、手を変え品を変えトライしていくうちに、いろんな発見があるのです。
ハードルが高かろうと低かろうと、なんだろうと、とにかくやってみる、試してみる、きた球を打ち返してみる。
打ち返した後の球の状態→上手く飛ばせる、ボテボテだった…いろんなフィードバックがあると思います。
自分の内面の動き、ヒットを飛ばせてもそれが嬉しいのか。飛んだ球の状態は全然よくなかったけれど、自分の中で何か掴むものがあった。何を満足として、何を辛いと思うのか。自分の特性。
どこかで失速することや、失敗することを避ける。
満遍ない状態でいられる自分。
そんなん幻想です。幻想でいいのです。
失敗したり、やりすぎたり、酷使しすぎてしまったり。
酷使しすぎて、一日寝ずにはいられない自分。
かっこ悪い、自分。
それ、いいじゃん、です。上等上等。(上等だけど自分の中でそれは望まない事なので、修正中です)
いろんな味を感じないようにする。そのほうがよっぽど残念だと。
なんだっていい。挑戦する姿勢に幸あれ、だと感じました。
一番つまらないのは、何もしなくて、自分の心の中でシュミレーションしているときです。現実何にも変わっていなくて、ただ頭の中だけで動いている。そういう時間も大事かもしれないけれど、自分の身体で、心で体感したことというのは、道を開くと思っています。
とにかくやってみる。自分の何かがGOだったら、やってみる。
やってみて違ったら、また違う道をやってみる。
最初から正解や、これ!なんて会えるもんじゃない。
その時は正解でも、また時期が変わったら、正解も変わってくる。
どんどん流れて、その時の風や、自分のフィーリングを掴んで生きていく。
幻想に恐れないで。幻想に、囚われないで。
私の上司の言葉、「やってみんとわからんもんでさー」は、まさにそのとおりだなぁと思います。