テラシマ天使的日常
noteやinstagramにてテラシマ天使的日常という漫画を描いています。またふざけたネーミングです。うふふ。
なんでこんなこと始めたのかと言いますと、昨年10月末に我が家の愛猫が亡くなり、もうどうしようにも悲しくて悲しくて仕方なかった時に、ふと思いついたのが漫画を描く事でした。

JRに乗りながら、光がものすごくキレイで、彼女がもういないことが嘘のようで。
その時は、ちょうど仕事においても生と死を強烈に感じる時期で、なんとも言えない気持ちでした。
そんなどうしようもない気持ちのなか、ふと思いついた「漫画描いてみようかな」は、前向きになる思いつきでした。
天使が見えてしまう男の子(現在は男の人)の話を描こうと書き始めたら、どっこい猫が意図せず出てきてしまい、涙しながら描いた覚えがあります。
人には誰しも苦手なことや、できれば避けたいこと、課題があると思います。
私にとって、自分の意見を出す、表現する、ということは本当にチャレンジで、できれば避けて通りたい分野です。
(と、言いつつ、ブログ書いてるじゃん、絵描いてるじゃん、自分のこと書いているじゃん、って思われる方もいると思います。これはですね、挑戦中です)
タロットのメールリーディングや、イラストを描くことが表現になるのでは?と問われると、私にとってそこは少し違う分野のように思います。
なぜなら、タロットを通じて、見えた世界を描いているので、これは自分の意見を書いているつもりはありません。私というフィルターを通した色はあっても、私は出していないと思います。
あくまで、対象があって、その返答というか、そういう役割だと思っています。
今回の漫画については。
なんで始めちゃったかなーという思いと。
しかし、やってみようと思ったのだから仕方ない、という思いと。
絵が下手くそという思いでいっぱいです。
よく「絵、上手だねぇ!」と褒めていただきますが、最近までその言葉を受け取ることはできず、内心はいつもどこかで「いいえ、私はうまくありません」と思っていました。
今でも、どこかで思います。
うまくないなぁ、と。
でも、なんというか。
その折角いただいた褒め言葉を受け取れない自分は終わらせよう、と思いました。
条件反射的に、「いや、うまくないです」と思い続けてきましたが、それではあまりにも自分が気の毒と言うか。
自分の思う出来に到達していない→うまくない。
絵って、うまい、うまくないだけのものなんだろうか?
…うまくなかろうと、そこに込めたものはたくさんあっただろうに。
技術の研鑽と、現実の直視は必要だろうが。
下手くそだろうと、なんだろうと、もういいじゃないか、と思うようになりました。
それよりも、やりたいのだ、私は。
拙かろうと、未熟だろうと、その踏み出した一歩に幸あれ!です。
そして、ずんずん進めば良いのです。
周りの声や、自分の中から聞こえてくる暗い声に耳をかさずに。
そして、下手くそな自分を見せたくないかっこつけな自分はもういいんだ、と思います。
かっこ悪くてもいいから、やってみたいと思うのです。
せっかく、生きているのですから。
私の中に挑戦したいという思いがあるのであれば、それが逃げたいこと、避けたいこと、困難なことであっても、挑戦していきたいと思います。
もしよかったら、テラシマ天使的日常、見てみてください!
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よろしくお願いいたします〜!!!